田原坂 鹿本郡植木町大字豊岡862

明治の激動西南の役中、最大の激戦地となった「田原坂」。ここ田原坂でその火蓋が切られました。田原坂は、戦国武将加藤清正が道を凹形に深く掘り込み、その坂の両端に土手を積み上げ断崖絶壁にし、通過する敵を攻撃しやすく作った、北から熊本に入るための唯一の坂道である。
 明治10年3月北上した薩軍の一部は熊本城を囲み、主力は北上して田原坂に主力陣地を設け、熊本城救援の為南下する政府軍と高瀬で交戦し、吉次・田原坂・山鹿の線で南下を阻止する戦いが行われました。
ここにこもった薩軍に官軍は猛攻撃を加えました。17日間に及ぶ大激戦の末、薩軍は敗走の道をたどります。

 


官軍戦没者6923名 薩摩軍戦没者7186名

17昼夜におよぶ壮絶な戦いで、一日の弾丸使用量は32万発といわれ、弾と弾が空中でぶつかりあった「空中かちあい弾」をはじめ、大砲模型、当時使用の銃器類、電文、錦絵などを展示。

復元された弾痕の家、土蔵造りの家に無数の弾痕があり、
戦いの激しさを物語っています。
復元される前に見たものは、もっと凄まじいものでした。

田原坂公園の美少年像
右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな美少年

いまは公園となってます。

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